生と死と・・・
11/14 その③ 【ベナレス】
しばらく岸を歩き回ったので、次はボートに乗ろうと思った。
岸を歩いているだけで「俺のボートに乗れよ」と声がかかる。
どのボートでも良かったが、おじいさんから声が掛かり何となく彼のボートを選んだ。
もちろん値段交渉は必須で、1時間70ルピー(約210円)で成立。
モーターなど付いているわけもなく当然手漕ぎだった。
岸を歩いているだけで「俺のボートに乗れよ」と声がかかる。
どのボートでも良かったが、おじいさんから声が掛かり何となく彼のボートを選んだ。
もちろん値段交渉は必須で、1時間70ルピー(約210円)で成立。
モーターなど付いているわけもなく当然手漕ぎだった。
彼の手はマメだらけで擦り剥けていた。
必死に漕いでくれる姿には、つい頑張れと応援したくなってしまう。
優しそうな顔をした人だった。
沐浴する人々、祈る人々、まるでガンジス河が全てを飲み込んでいるかのようだ。
ボートはとてもゆっくりとしたスピードで進んでくれる。
ガンジスを感じるにはこの位のスピードがちょうど良い。
突然、ボート漕ぎのおじいさんが水面を指差し、「Dead Body」と静かに囁いた。
そこには人間の死体が浮いていた。
あまりの事に驚きさえ出てこなかった。
そう、ガンジス河では死の光景とも直面することになるのだ。
そこには人間の死体が浮いていた。
あまりの事に驚きさえ出てこなかった。
そう、ガンジス河では死の光景とも直面することになるのだ。
ヒンズー教徒にとって、自分の死後、遺灰がガンジス河に流されるのは最高の幸せだとか。
そのためここベナレスで最期を向かえるために、わざわざやってくる人達もいるらしい。
実際にガンジス河の岸には、もう動けないであろう人、明日まで生きれるかわからないような人が、
たくさんうずくまっていた。
彼らはもう死を待つのみ、そしてガンジス河に流されるのを祈っている。
そのためここベナレスで最期を向かえるために、わざわざやってくる人達もいるらしい。
実際にガンジス河の岸には、もう動けないであろう人、明日まで生きれるかわからないような人が、
たくさんうずくまっていた。
彼らはもう死を待つのみ、そしてガンジス河に流されるのを祈っている。
数あるガートのうち、2つのガートは火葬場として利用されている。
写真はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場のガートで、24時間休みなく火葬が行われている。
近場での写真撮影は厳禁とのことなので、
これは遠くからの写真だが、煙が上がっている様子がわかる。
ボートを降りた後、マニカルニカー・ガートへ足を運んだ。
近くにいても見物している分には何の問題もない。
近くにいても見物している分には何の問題もない。
マニカルニカー・ガートには薪が大量に積み上げられていて、異臭がたちこめていた。
次から次へと布に包まれた死者が運ばれてくる。
死体は薪に載せられ、そして火がつけられた。
体はどんどん火に包まれてゆく。
手や足がむき出しになって徐々に黒くなっていく・・・
話には聞いていたが、目の前で本当に人が燃やされて灰になっていった。
人間とはあっけないものだ・・・
次から次へと布に包まれた死者が運ばれてくる。
死体は薪に載せられ、そして火がつけられた。
体はどんどん火に包まれてゆく。
手や足がむき出しになって徐々に黒くなっていく・・・
話には聞いていたが、目の前で本当に人が燃やされて灰になっていった。
人間とはあっけないものだ・・・
ここガンジスではこの光景が当たり前に繰り返されていて、
この空気にのまれたのか、意外にも冷静に見続けることができた。
遺族達も涙を流している人はいない。
ただひたすら灰になるのを待っていた。
人の死をごく自然に受け止めているかのようだ。
この空気にのまれたのか、意外にも冷静に見続けることができた。
遺族達も涙を流している人はいない。
ただひたすら灰になるのを待っていた。
人の死をごく自然に受け止めているかのようだ。
日本人とインド人、生死感の違いを感じた瞬間だった。
ここでは生と死が同じ空間に共存している。
何だか言葉にできない大切なものを見れた気がして、インドに来て良かったと思った。
ここでは生と死が同じ空間に共存している。
何だか言葉にできない大切なものを見れた気がして、インドに来て良かったと思った。