#34~35 瀬戸内海の気になる島(大久野島) 10/20~21 その2

10/20続き

大久野島の第2弾です。やや重い内容になります。


大久野島は今となってはレジャー施設の整う賑やかな島になっていますが、
一方で過去には戦争と深く関わってきた歴史を持っており、
島内には戦争にまつわる様々な遺跡が散らばっています。


日露戦争の頃、広島や呉の軍事基地防衛のために、瀬戸内海の島々や岬に砲台が設置され、
大久野島にも何台もの砲台が置かれました。
以後、大久野島は戦争と深く関わっていくのです。


その後、第2次世界大戦時には、旧陸軍の毒ガス製造工場が設置され、
イペリットガスや青酸などの化学兵器が極秘に製造されていました。
その機密性のために、以降大久野島終戦まで地図から消されたのです。
毒ガス製造に従事した多くの人は、最初から作業の危険性を説明されることはなく、
のちに毒ガスによる障害と後遺症を受けたそうです。
彼らはどんな気持ちだったんでしょうか・・・



小さな大久野島ですが、1周するといろいろな物が発見できます。




中部砲台跡

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日露戦争の頃にが設置された砲台跡の一つです。このような砲台跡があちこちに残されています。
レンガ造りのこの施設には弾薬が貯蔵されていました。






毒ガス貯蔵庫跡

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島内で一番大きい毒ガスの貯蔵庫跡です。
壁が黒くなっているのは、戦後に米軍がこの施設を処理する際に、
毒性を取り除くために火焔放射器で焼き払ったためです。






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当時、島内の各施設に電力を供給していた発電所跡です。
ツタに覆われた巨大なコンクリートの建物は、何とも近づき難い雰囲気を漂わせています・・・
まさに廃墟。



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まるで全てを拒むかのような入り口に近づいてみました。
明るいからここまで来れるけど、暗くなってからは絶対にありえません・・・



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建物の中はガランとしていました。地面には枯葉が溜まっています。
おそらく全て撤去されて、建物だけが残っているのでしょう。
ガラスのない窓からたくさんの陽射しが入ってくるのが唯一の救いですね。
こんな所にもウサギが出てくるので、ドキッとします。




毒ガス資料館

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小さい資料館ですが、この島で何が行われてきたかが詳細に説明されています。
当時の作業用の防護服も飾ってありますが、こんなお粗末な物でよく化学兵器を扱っていたと思います。
化学兵器の悲惨さが痛いほど伝わってきました・・・





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再び船で港まで戻ってきた頃にはもう日が暮れ始めていました。
帰りは港の近くの忠海(ただのうみ)駅から電車で帰ることにしました。
今日は岡山に宿泊予定です。
2時間ほどの電車の旅、ほとんど寝てしまいました。



島というのは海に囲まれて周囲から孤立しているため、
島そのものが良くも悪くも一つの目的で使われることが多かったようです。
こんな小さい島に、こんな大きな負の歴史があったとは知りませんでした。
とても考えさせられるものがありました。来てよかったです。